久田 宗也 短冊 大正14年、京都生まれ。京大卒。 茶道表千家流、久田家12代家元「尋牛斎」表千家13代千宗左に学ぶ。表千家不審菴理事。表千家茶道教授として多くの弟子を育てました。平成22年、没。

△ 久田 宗也 短冊

大正14年、京都生まれ。京大卒。 茶道表千家流、久田家12代家元「尋牛斎」表千家13代千宗左に学ぶ。表千家不審菴理事。表千家茶道教授として多くの弟子を育てました。平成22年、没。


香炉 青磁香炉 宮川香山「真葛」印銘 香山は天保13年(1842)京都の真葛ヶ原に生まれ、父は陶工 宮川長造。19才の時、父、兄が亡くなり家業を継ぎました。亡き父が朝廷用の茶器を製作しており「香山」の称号を受けていたため、初代香山を名乗り、色絵磁器、陶器を製作。25才(1866)の時、幕府から御所献納の品を依頼されるまでの名工となった。29才(明治3年)横浜に輸出向けの真葛工房を開いた。「高浮彫」と呼ばれる技法を生み出した。この技法は精密な彫刻を彫り込むことで新しい表現方法を確立しました。35才(明治9年

△ 青磁香炉 宮川香山「真葛」印銘

香山は天保13年(1842)京都の真葛ヶ原に生まれ、父は陶工 宮川長造。19才の時、父、兄が亡くなり家業を継ぎました。亡き父が朝廷用の茶器を製作しており「香山」の称号を受けていたため、初代香山を名乗り、色絵磁器、陶器を製作。25才(1866)の時、幕府から御所献納の品を依頼されるまでの名工となった。29才(明治3年)横浜に輸出向けの真葛工房を開いた。「高浮彫」と呼ばれる技法を生み出した。この技法は精密な彫刻を彫り込むことで新しい表現方法を確立しました。35才(明治9年)フィラデルフィア万国博覧会に出品、多くの国に絶賛され、宮川香山の名を世界に知らしめた。明治29年帝室技芸員(現 人間国宝)を拝命する。

高浮彫は生産効率の低さから作風を一変して、中国清朝の磁器の研究をし、釉下彩の技法を習得し、この技法で、真葛焼は輸出産業の主役として持てはやされた。大正5年死去。宮川香山の名は孫の宮川葛之輔が3代目を継いだが、まもなく横浜大空襲で焼死。弟、宮川智之助が、4代を名乗ったが復興にはいたらなかった。